こころが助かるコラム なぜガリレオガリレイは宗教裁判にかけられたのか・パート1
天文学の話ですが、一神教の世界観が関係している話です
西暦1600年代、天動説を否定し、地動説を唱えたガリレオガリレイは、宗教裁判にかけられ、地動説の撤回を余儀なくされました。撤回を宣言させられた際に、小声で、「それでも地球は回る」と呟いたとするエピソードも有名です。
しかし、そもそもなぜ、ガリレオは宗教裁判にかけられないといけなかったのでしょうか?
地動説と天動説との対立とは、地球と太陽とで、どっちが中心で、どっちが回ってる側かの違いです。これがなんで、裁判沙汰になるのでしょうか? 例えば同時代の日本(江戸時代初期)に、もし地動説を唱えた人がいたとして、お奉行様に呼び出されてお白洲でお裁きを受けたでしょうか?
まず、ないですよね。
一神教 ーーー ここでは、「唯一絶対のが、全宇宙や、人類を含めた全生物、すなわちこの世のすべてを、神が創造した、とする宗教」を指します。
キリスト教は、この一神教です。宗教に詳しくない人も、神が「天地創造」でこの世を創ったとか、神が生み出したアダムとイブが最初の人類だとの話は、聞いたことがあると思います。
そして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、すべて同じ一神教の宗教です。
この3つの宗教は、ざっくり言うと、同じ宗教の、違う宗派です。先の天地創造やアダムとイブの話も、3宗教の聖典において大筋で共通しています。
(以下、パート2に続きます)