ハート・セーブ・セミナー 自分ですぐできるココロの助け方

自分1人で今すぐできます! あなたのこころを助ける方法

こころを自分で助ける方法 反すう・思い出しムカつき対策 ー 「後ろ髪を引かれ」たら、髪を切っちゃいましょう

最近あまり使われないですが、過去の後悔や未練を無駄に引きずってしまうことを「後ろ髪を引かれる」と表現する慣用句があります

いい慣用句と思いますが、せっかくなのでこの表現に乗っかって、こころを助けてみましょう。

いま苦しんでいるあなたは、おそらく過去の、もうどうしようもなくなった出来事について、何度も何度も繰り返し、繰り返し思い出しては、自分で自分を追い詰めてしまっていると思います。

そこから逃れるために、この慣用句にズバリ乗っかって、

「実際に後ろ髪を引かれている自分」

を、イメージしてみて下さい。

短髪の人は自分に後ろ髪があると思って、それが何者かによって、背後から引っ張られているイメージをしてみて下さい。

後ろからあなたの髪を引っ張っているのが、あなたのこころをむしばむ小悪魔ちゃんです。

(雰囲気を軽くするために悪魔ではなくて、小悪魔を想像しましょう)

そして、小悪魔が引っ張ってくるあなたの後ろ髪を、

綺麗にバッサリと、切ってしまいましょう(あくまでイメージの中で)

バッサリいきましたか。さあ、小悪魔が後ろに飛んで行ってしまいましたね。

 

どうでしょう、反すう・思い出しムカつきに心がとらわれてしまった時は、このイメージを浮かべてみてください。

ちょっと背中が軽くなりましたね。さあ、とりあえず前に向けて、まず一歩だけ踏み出しましょう。

 

こころを自分で助ける方法 各宗教は、こころを助けるノウハウに利用できる

ある宗教を敬虔に信仰している方には失礼な表現かもしれませんが、誰かの心を助けるためと思ってご容赦ください

これまで何度か宗教の話をしてきましたが、宗教はあえて信者になったり団体に加入しなくとも、

人の心を助けるノウハウが、いろんな宗教にいっぱい存在します。

そういったいわば世界中の先人たちの知恵を、あなたの心を助けるために、上手いこと少しずつつまみ食いをしよう! というのが本セミナーの提案です。

 

なんで大昔のインドの王子様は四苦八苦とか悟りとか言ってたのか、念仏を唱える意味はなんだとか、

なんで大昔の今で言うパレスチナにいたイエスという男性は、右のほはぶたれたら左のほほ出せと主張したのか、なんで食事の度や毎週日曜にお祈りするのかとか、

なんで地動説を唱えたガリレオは宗教裁判にかけられたのか・その前提にはあの宗教のどういった宇宙観があるのか

こういったことを、気軽に調べたり考えたりしていくと、そこに心を助けるヒントがあり、人の本質や人類の歴史が見えてきます。

また、特にいわゆる無宗教の人にとって、あの宗教はこういった世界観なんだな・この宗教はこの前提であの決めゼリフがあるんだなと、他者や外国の理解を深めることもできます。

「自分一人で今すぐできるこころの助け方」として、色々な宗教のつまみ食いは、本当に有効です。先人たちの知恵に、ありがたく乗っからせてもらいましょう、

こころが助かるコラム 人の世は「四苦八苦」に満ちている

仏教の話をしますが、繰り返しますが本セミナーは特定宗教を推奨するものではありません

「四苦八苦」とは、元々仏教用語であることはご存知でしょうか?

まず、「四苦」が「生 老 病 死」の苦しみを指します。

これ、老・病・死が苦しみだとはわかりますが、「生」も苦しみだというのが、独特の認識ですね。

「八苦」はこれに他の4つの苦しみを加えた、合計を言ったものです。他の4つを現代語でいうと、

・愛する相手が離れてしまう苦しみ

・逆に、イヤな相手と会わないといけない苦しみ

・求めるものが得られない苦しみ

・自分の肉体と精神が思うようにならない苦しみ

これらを指します。

 

仏教の開祖であるシャカは、何千年も前のインドの王子様だったのですが、その王子様が、

・イヤな奴と会わないといけないのはホント苦痛だよなー 

と、現代の会社で人間関係に悩む人と同じことで悩んでいたり、

・もう、この世に生まれてきたことが、生きてることが苦しみだわー

などと考えていたのかと思うと、ちょっと面白いですね。

 

そしてこの王子様は、この世は、人の世は苦しみに満ちていると、四苦八苦で世の中は満ちている、苦しみだらけだと、認識していたわけです、

そして、苦しみから逃れるために、王子様がたどり着いのが、

「悟りを開く」という手段だったと。

 

こうやって、何千年も前の遠いインドの王子様も、現代の我々のような日本の庶民と、全く同じことで、悩み、苦しんでいて、

そしてその苦しみから逃れる方法を、必死に編み出したのです。

そう考えると、ちょっとだけ、こころが楽になりませんか。

 

こころを自分で助ける方法 「こころは自分で助けられる」ことに気付こう

本稿は心療内科等への通院を否定するものではありませんが、こころは自分一人でも助けられることがあります。それを楽しんでみよう

たとえば身体の病気だと、中には入院・手術が必要になったり、その手術も成功可能性が低かったりとかあります。

その点、こころの苦しみは、自分一人でも対応が可能です(念押ししますが通院や服薬を否定するものではありません)。

たとえばいわゆる認知行動療法アドラー心理学も、ざっくり言えば「あなたの物の見方や考え方を変えてみよう」という話です、

こころの苦しみの助けは、自分自身でも分析し、立ち直りの計画立案が可能なのです。

いわば、あなた自身があなた専属の、担当医になれるのです。

 

あなた自身が、あなたの心の主治医・お抱えの名医になったイメージ、あるいは熱心な看護師さんになったイメージを持ち、広げてみて下さい。

そう考えて、自分のこころ向き合い、一緒にリハビリを考えてみてはどうでしょうか。

野口英世でもナイチンゲールでも、ブラックジャックでも○○教授の回診行列でも「私、失敗しないので〜」でも色々イメージできるので、

あなたにとっての名医・名看護師になって、寄り添ってあげましょうね。

こころを自分で助ける方法 「思い出しムカつき」(反すう)という小悪魔におしおきを!

苦しんでるあなたは、「あの傷つけられた時に、こう言い返してやればよかった、、、」との、思い出しムカつき(反すう)に、繰り返し、繰り返し囚われてないでしょうか

そして、それを人や専門家に相談して、「切り替えたほうがいい・認識変えたほうがいい」と言われたけど、結局また同じ思い出しムカつきにとらわれてしまうことを、繰り返し繰り返ししてしまっては、一人、苦しみ、そんな自分を自分で責めていないでしょうか。

 

そこで私が提案する、思い出しムカつきを止める自分でできる方法

「思い出しムカつき、という小悪魔が心にいると考えて、そいつが意地悪してくるので、小悪魔を蹴っ飛ばして、自分の心から追い出す」

こんなイメージをして下さい。

あえて軽い雰囲気にするために、悪魔ではなく、小悪魔をイメージして下さい。バイキ○マンでもいいです。

そして、その小悪魔を心から叩き出すイメージをするのです。叩き出すのはキックでもバンチでも、高速タックルでもなんでもOKです。月に代わっておしおき〜 でも、全集中!○の呼吸で斬りつけてもいいです。とにかくやりたい必殺技で小悪魔を、心から追い出して下さい。

どうでしょう? 思い出しムカつきという小悪魔を、うまく追い出せましたか?

また次回、小悪魔がまたやってきても、追い出してやって下さいね。違う必殺技も用意しときましょう!

こころが助かるコラム 手塚治虫は、「ブッダ」も、「旧約聖書物語」も書いた

私は宗教は「勉強すると面白い」と書きましたが、手塚治虫も同じ心境だったと勝手に思っています。

手塚治虫の作品に、「ブッダ」というブッダ=釈迦の生涯を描いたものと、「旧約聖書物語」と、旧約聖書の話をアニメ化したものとがあります。

さらに細かく言うと、旧約聖書には記載のない、イエス誕生の話も「旧約聖書物語」には描かれています。イエス誕生は新約聖書にしか出てこない話です。

(ざっくり言うと、「旧約聖書こそが聖典」とするのがユダヤ教、「旧約聖書新約聖書とが聖典」とするのがキリスト教です。)

 

きっと手塚治虫には、宗教問わずどの話も興味深かったのだと思います。ブッダの話も、旧約聖書も、イエス誕生の話も。

だからこそそれらを真剣に読み込み、自らの作品として創り上げたのでしょう。

 

私も、趣味と実益を兼ねて各宗教を勉強してるので、手塚治虫の気持ちがわかるのです。

一つだけではなく、複数の宗教を学ぶことで、見えてくるものがあります。教義や布教に似たパターンがあるとか、既存宗教の改革から始まるパターンがあるなとか、始まった地域の文化や自然環境と教義内容が関連してるんだな、などなど。

そして、繰り返し書きますがそこから、

人の本質と、

何千年も前の外国の、どこかの街の人達も、苦しみにあえぎ、人生に迷い、そこから助かる方法を必死に求めていたんだなあと、見えてきます。

それを見つめ直すと、こころが少し軽くなりますよ。

霊感商法・高額献金要求する団体について 解散命令のその後

解散命令がもし裁判所から出されても名前を変えて存続はしてしまいます。

某団体について行政処分としての過料、さらには解散命令の申立ても検討中とのことですが、

仮に現存の宗教法人への解散命令が確定しても、地下鉄サリン事件を起こした団体のように、名前を変えて事実上は存続してしまうでしょう。

(それでも「解散命令まで出された」との事実自体が、新たな被害者発生を少なくする意味はあると思います)

 

この団体に起因して起きた数々の悲劇を、今後は少しでも減らすためにも、

「自分ひとりで、今すぐできるこころの助け」を広めていきたいですね。

繰り返しますが、「人は、苦境に陥ると判断を間違いやすい弱い生き物」なのです。

またこれもふれましたが、宗教は「勉強」の対象としてみると非常に興味深いのです。古今東西の人類たちも苦境にあえぎ、そこから立ち直ろうと頑張る姿や、

布教にあたっての本音と建前の使い分けなど、人の本質に触れた思いがします。

勉強ついでに、解散命令で話題の宗教法人はたしかキリスト教の一派を自称していたはずですが、

エスも、モーゼも、「10万円じゃ救われないけど、500万円払ったら救われるよ」なんて、

一言も言っていないのです。あるいはそれを内心では薄々わかりながらも、

苦しくなるとすがりついてしまうのが、人間の、悲しい業なのかもしれません。